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「裸の大将」でお馴染みの山下清画伯は、昭和31年に式場隆三郎先生と画伯の弟の辰造氏の3人で倉吉を訪れ、生涯でただ一度だけ石版印刷に挑戦し、数少ない貴重な作品を遺しています。
当時、山下画伯は「放浪の天才画家」として全国に名が知れ渡っていましたが、画伯を指導していた式場隆三郎先生と、鳥取市の病院長で「鳥取民芸の祖」吉田璋也先生とは、かねてから新潟医大の同級生で友人でした。その頃、吉田先生の招きで鳥取の牛ノ戸に来られていた式場先生に、倉吉まで足を延ばしていただくよう要請し、快諾され実現したものです。
倉吉では講演会と知的障がい児の施設「皆成学園」の訪問、市内の書店での画集のサイン会が催され、どこも押すな押すなの大盛況でした。
皆成学園では、学園の子ども達が陶芸を楽しむ窯があり、画伯も焼き物の絵付けをされましたが、「石版をやってみたら」との話がまとまり、石版印刷をやっていた山本印刷の当時の社長・山本巌が直接、画伯に石版の指導をすることになりました。そのときの様子は写真に残っていますが、石版印刷は1日では終わらず、2日がかりでようやく完成したそうです。
当時のこの石版と作品は今も現存しており、倉吉博物館で大切に保管されています。